この記事は、2026年夏に行われたインタビューを書き起こしたものです。みやざきさんは30代のソフトウェアエンジニアで、国内の受託会社、カナダのスタートアップ、日本でのSREを経て、この夏、同じくSREとして別の自社サービスの会社に転職しました。かえるさんは職務経歴書の作成をお手伝いしました。お話を聞いたのは、入社から1ヶ月が経った頃です。
1ヶ月目で残業の上限を突破
オンボーディングとか言ってる状況じゃなくて、本番稼働中サービスの運用系のタスクを「自分がやっていいですか」って、どんどん引き剥がしてやっています。このSREチーム、数年前まで8人くらいいたらしいんですけど、今は自分を含めて3人で、しかもそのうち1人は入りたてです。おかげで業務は多く、1ヶ月目にして、会社が超えるなよって釘を刺していた残業のラインを突破しました(笑)。朝6時の電車に乗って、帰りは9時とか9時半とか。
業務の量というか、カオスさは予想していた通りです。かえるさんも面談のときに言っていましたけど、そういう状況の会社だから、自分みたいに、でしゃばりたい、とにかく早く経験を積みたいっていう人間にとっては、大変さはあるけどすごくいい。手を挙げれば火を消させてもらえます。安定した時期だったら、自分のポテンシャルだけでは入社できてなかったかなとも思うんですよ。ガッツがあるなら、という時期の会社に、ちょうどよく自分がハマりました。今のところ大成功の転職です。
マネージャーははっきり物を言う人で、1回萎縮したら終わるなと思いました。なので、最初の1ヶ月を全力でやって、こいつはちょっと働きすぎて危ないな、くらいに思わせることにしました(笑)。今のところは思惑通りです。
体は大丈夫。学生時代に陸上をやっていて体は強い方ですし、カナダにいたときもこんな感じだったので。転職のタイミングで引っ越した先を勤務先から遠いところにしてしまって、ご飯を作る時間がないですけど(笑)。でも通勤で歩く時間があるのは、むしろメンタルにいいかもしれないとも思います。体を動かして、リセットができますよね。
この会社の中でしか、生きていけなくなる
大学で情報系の学科に行ったのは、特に志があったわけではなく、ゲームが好きだったから、くらいの理由です。修士まで行きましたけど、やっていたのは電気回路の設計みたいなことで、Cを書いていたりはしましたけど、ソフトウェア工学とは違います。
何も考えずに就職しました。研究室の同期がみんなSIerに行くので、じゃあ自分もと、学校の推薦を使って大手SIerに入りました。
ただ、入ってすぐに、このままだとまずいなと思いました。コードを書くより、仕様をまとめて協力会社に渡すような仕事で、研修でも「技術力はないけど、人柄で頑張る」という話が出てくるんですよ。その会社の中でしか生きていけない人間になるんじゃないかという危機感がありました。
それで、研修中からずっと英語を勉強していました。「ちゃんと研修を受けろよ」と言われたりしながら。どこに行くかは決めていなかったですけど、外に出ようとは思っていました。日本にいるなら外資、あるいは留学。
コーディングは正直どうでもよくて、英語を使えることが最優先でした。学生の頃から、理系なのに理系科目があまり得意ではなく、英語に救われてきたんですよね。そのせいか、英語をやっておけば何かしら生きてくるだろうと思っていました。アメリカの公認会計士の資格を取ることも考えたりしましたけど、英語と資格の勉強を両方やるのは難しかったので、不真面目なりにやってきたコーディングの方に戻ってきました。
結果、最初の会社は1年半で辞めて、次の1年はSESで、ノーコードのツールでダッシュボードを組んだりしていました。あの期間は留学までのつなぎの1年で、正直言うと、丸ごと無駄でした。後々振り返ったら意味があった、なんてことさえなかったです。それを言うと新卒のところも無駄でしたが…。当時の自分にアドバイスするなら、1社目を辞めずに、部署を移ってコードを書けるところに行け、でしょうか。まあ、当時は尖っていたので、言っても聞かなかったと思いますけど(笑)。
100件送って、通ったのは2件
そんなこんなで、ある年の元旦にカナダのバンクーバーに降り立ちます。到着2日目にコロナにかかるという洗礼を受けました(笑)。
バンクーバーでの生活は、まずコミュニティカレッジの学生です。1年が座学で、もう1年が有給のインターンというコース。たまたま先生がビッグテック出身で当時は自分でも会社をやっているという人で、そのクラスに入った人は全員彼の会社でインターンをすることになっていました。インターンがあるなんて知らずにカナダに渡ったんですが、とてもラッキーな座組でした。授業ではデータ構造やモバイルアプリの開発をやりました。当時モバイルは未経験。授業、インターンを通してとても実践的でした。
そこから現地で就職活動です。とにかく数を打ちました。バンクーバーのソフトウェア会社を見つけては直接応募しました。100件くらい送って、書類が通ったのは2件。一つの選考がまだ進んでいるときに、もう一つからオファーがもらえて、めんどくさかったのでそっちに決めました。若かったですね(笑)。
もっといいやり方はあったと思います。現地には数年働いている先輩たちのコミュニティがあったんですけど、そういう人たちにレジュメを見てもらったり、イベントに行ったりしていれば、もっと通りやすかったかもしれません。
入社したのは不動産の検索サービスを作っている会社です。地図をスワイプしたときに、その先の画像を先読みする処理がうまくいってないので直す、みたいな、仕様をもらって、小さい不具合修正をいくつかやっていました。
通用しなかった
1ヶ月で切られました。会社の経営状態の事情ではなく、自分側の問題です。原因は多分、言語。英語が聞き取れていなかったので、ミーティングで何回も話が戻るというのが明らかにありました。解雇の切り出され方は、「新しい人を入れようと思っているんだけど、どうする?」でした。選択肢を与えられているようで、与えられていない。
はっきりしたフィードバックをもらったのはそのときが初めてでした。正直自分がその会社の人だったら「こいつ聞けてないな」って思うな、くらいの出来でしたから、厳しいなとは思いながらも真摯に受け止めました。また、その時点でやれることは全部やっていたので、まあ別にいいわ、くらいの気持ちでもありました。
自分、これでも英検は1級、TOEICも930くらい持っていたんですよ。でも通用しなかったですねー。事前に準備していたところにあぐらをかいてしまいました。相当頑張ってきたから、これだけやったらいけるだろうと思い込んで、専門分野の勉強ばかりやっていたんで。面接は、来るものが予測できるので、英検やTOEICに向けて勉強していた英語の貯金でくぐり抜けられました。でも実際の仕事では通用しなかった。英検は日本人向けに作られていて、音の変化とか脱落とか、現地の英語の仕様になっていないんですよね。
じゃあどういう準備があり得たかと今考えると、バイトをすればよかったと思います。それも現地の人しか来ないような店で。自分の場合、学校の授業もインターンも日本人が多かったので、英語に関しては不利でした。これから海外で働きたくて英検で対策します、という人には、意味はなくはないけど、それより在学中に現地でバイトをした方がいいよ、と言いたいです。
例のもう1件進んでいた方の選考はまだ生きていました。でも仮にそこで先に進めたとしても、多分また言語で弾かれるなと思ったので、1回日本に帰ろうと決めました。ある程度やりきった感はあったので。
タスクとして切られたものは、使えない
帰国して、日本で転職活動をしました。多分経歴だけを見ると、院まで行って海外にも行っているので強そうに見えるんですよ。書類は結構通りました。でも当時もう30手前で、その年齢なら5年くらいの経歴があるだろうと見られるので、面接はなかなかうまくいきませんでした。二、三十社は受けたと思います。カナダの就職活動で作ったポートフォリオを全部日本向けに作り直して出したりしていました。
入社が決まったのは、自社サービスのSREのポジションでした。ポテンシャル枠だったと思います。
SREになれたということが、キャリア的には一番大きかったですね。やったことのない分野を実務でつかむのは難しいので、その機会をもらえて、スイッチできたのはよかったです。コード化されていないインフラを全部コードにしていくとか、そういうことを3年やりました。
フリーランスの人が多い会社で、20年、30年選手みたいな優秀な人たちがいました。それは良かったんですけど、人が足りなければフリーランスで解決するという組織で、社員に重要な仕事を任せて育てていくという感じではなく、自分の成長という意味ではそろそろかな、と思い始めました。
それでも、かえるさんに最初に相談した時から、実際に転職するまでには結構期間が空きましたね。最初に辞めようかどうかという話をしてから、社内でどう自分起点の実績を作れるか、試行錯誤していました。転職活動をするときに「自分がこういうプロセスで、こういう問題を見つけて、こうやった」と語れることが大事で、タスクとして切られて受け取ったものは、そういう話としては使えないので。結果的に、ビルド時間の短縮とか、モニタリングのツールが入っていなかったところに入れたとか、自分で課題を見つけてそれを解決したという実績をいくつか掴むことができました。
それを持って転職活動をして、序盤にかえるさんから今の会社を紹介してもらって、割とすんなり決まりました。自分の感覚では、新卒からしばらくフラフラしていたけど、本気を出してからは割といい動きができているんじゃないかなと思っています。
このままでは終われない
ソフトウェアエンジニアリングに対する情熱、一切ないんですよね。
仕事をやっているのは、どれだけ成長できるか、というゲームだと思っていて、たまたまそれがソフトウェアエンジニアリングだったということです。学生時代は超いい加減だったし、センスも多分あまりない。ただ、そういう人間が全力でやったときにどこまで行けるんだ、というのが、今自分が頑張る理由です。
今は、月に何十時間も残業した後に、週末に自分でウェブサーバーを動かして、わざと壊してどう振る舞うか確認する、みたいな勉強をしています。業務でも必要になるんですけど、物量的に業務だけでは間に合わないので。でも、留学に行って学費を払っていた経験があるので、今は勉強しながらお金をもらっている感覚なんですよ。だから、あまり苦には感じていません。
これからの二、三年は二軸です。一つは、会社の重要なタスクをどれだけ自分で巻き取っていけるか。それをやっていれば、転職のときに語れるエピソードは勝手に増えていくと思います。もう一つは、英語を使う機会を自分で作っていくことです。手始めに外国人向けの通訳・翻訳のボランティアに登録してみたんですけど、依頼が1件も来ないんですよ(笑)。これは当てにならないので、次の手を考えているところです。
外資か英語圏か、もう一回行こうと思っています。なぜかというと、1回負けているからです。やりたいことがあるというわけではなく、単純に負けたことが悔しい。このままでは終われません。達成してしまったら、悔しさも消えるので、頑張る理由がなくなる可能性はありますね(笑)。でもそこまでいけたら、あとはやりたいことをやればいいかなと思っています。
その前に、日本のトップ層と言われる会社を一つ経由したい、という気持ちもあります。経由しなくてもいいんですけど、見ておきたいし、経歴としてもバッジになる。そこも含めて、2年くらいでと思っています。2年後で33歳。今は巻き返し中です。二、三年先にAIでどうなっているかは分からない。分からないから、とりあえず今頑張るしかないです。
自分で決める
人にアドバイスできるようなことはあんまりないですけど、強いて言うなら「自分で決める」でしょうか。自分で選択をすれば、うまくいかなくても自分の責任なので、何かしら学べる。選択を人に委ねずに自分で決めていくのがいいんじゃないですか。自分はそれで、振り返って、後悔はないです。相談した上で自分で考えて決断するのはいいと思うんですけど、聞いたことを受け身のまま鵜呑みにして決めてしまうのは、絶対にダメだと思います。
それと、時間を大量に投下するフェーズは絶対に必要だと思います。最初から質を求めるのはあまりよくない。がむしゃらにやる期間が必要なんじゃないかと。人に強いるものではないですけど、やる気のある人は勝手にそう感じるんじゃないですか。感じない人は、それまでだし。
自分は、まだ投下していきます。