等身大で語る
2025年8月30日 • 8 min read • 3,865 words大手SIerから有名Webサービス企業に転職したパッタイ🍜さんのお話
この記事は、2025年夏に行われたインタビューを書き起こしたものです。パッタイさんは大手SIerに勤めるソフトウェアエンジニアです。約三ヶ月の転職活動を経て、自社開発の大規模Webサービス企業からオファーをもらいました。GAFAがえるさんはパッタイさんの職務経歴書の作成や面接準備のお手伝いをしました。お話を聞いたのは、転職活動終了後、入社が数週間後に控えている時期です。
この夏、四年半ほど勤めた大手SIerを離れ、Webサービス企業へ転職します。十数社に応募して、書類で落ちたり、面接で噛み合わずにお見送りになったり。決して順調ではありませんでしたが、最後には「ここで働きたい」と思える会社から声をかけてもらえました。
振り返ると、キャリアに魔法の近道なんてやっぱりないんですよね。準備して、振り返って、また挑戦する。その地味な繰り返しが、気づけば道をひらいていた。そんな転職活動でした。
高校生の頃、進学先についてあまり深く考えていませんでした。数学や理系科目は嫌いではなかったので、就職に有利そうだというくらいの理由で電気情報系の学科に進学しました。当時はコードを書いた経験なんてゼロ。パソコンを使うことがあるとするとせいぜいネットサーフィンをして遊ぶくらいでした。
そんな僕が初めてプログラミングに触れたのは、大学に入ってからの授業です。大学は色々幅広くやったんですが、途中から専門に別れていくときに、情報系の方にいきました。見えない電子の動きを学んだりするより、書いたものがそこで動くという体験が面白かったです。あとはアルゴリズムはパズルのような面白さがありましたし。
研究室ではグラフアルゴリズムをテーマにした研究を選び、競技プログラミングにも触れるようになりました。講義や友人の話で知って、軽い気持ちで参加してみたのが始まりです。競技プログラミングっていうのは、色々種類ありますけど、与えられたテストケースを通るコードをどれだけ早く正確に書けるかを競うっていう感じです。
研究者として突き詰めていくというほど学問としての情報工学に情熱があったわけではないので、修士を修了したところで就職を選ぶことにしました。その際は「競技プログラミングが好き」という気持ちをそのまま軸にして、コンテストを主催したりスポンサーしている会社を中心に応募しました。今思うと少し独特な探し方でしたが、当時の自分にとっては自然な流れでした。
最終的に、面接の印象がとてもよかった大手の受託会社に就職しました。
受託会社、いわゆるSIerと呼ばれるような会社ですね。受託というと、設計と実装の責任が分かれていて深いところまで携われないイメージを持たれがちですが、僕が入った会社は少し違っていました。プロジェクトメンバーが要件定義から設計、実装、テスト、運用保守まで一気通貫で担当することを売りにしていて、思っていたよりずっと幅広い工程に関わることができたのです。
もともとエンジニア出身の創業者が立ち上げた会社で、「エンジニアのプロ集団としてソフトウェア開発を請け負う」という色を打ち出していたようです。とはいえ受託は受託ですから、実際にどこまで深く関われるかはプロジェクト次第。その中でも僕は、幸い案件に恵まれた方だったと思います。
この会社で得た一番のものは、チーム開発の面白さでした。大学までは競技プログラミングや研究など、一人でパソコンに向かって問題を解くことがほとんどでした。仕事ではそうはいきません。仲間と議論しながらソフトウェアを作り上げていく、その過程そのものが新鮮で、純粋に楽しかったです。競技プログラミングで味わった「自分の力で解を出す」感覚とはまた違い、仲間と一緒に成果を形にしていく達成感は学生時代には得られなかったものでした。面接での印象どおり、仲間に恵まれていたというのも大きかったと思います。
最初に配属されたのは金融系の大きなプロジェクトで、三年半ほど腰を据えて関わりました。そのプロジェクトの終わりが見えてきて、次はどの案件に入るかという話が出始めたころ、「ちょっと他の会社を見てみてもいいのかもな」と思ったのが、最初に転職を考えたきっかけでした。今から一年ほど前のことです。
そのときは数社受けてみたものの結果は出ず、割とあっさり諦めてしまいました。うまくいかなかったのは今思えば当然で、エージェントに少し助けてもらうだけで自分ではほとんど企業のことを調べたりもせず、着の身着のまま面接に臨んでいたんです。準備不足でした。
それでもやっぱり、受託開発ではどうしても「作って納めて終わり」になってしまう。長期的にプロダクトを育てていくような経験をしたいという思いは消えませんでした。それで、時間を置いたあと改めて転職活動を再開することにしました。
今回の転職活動は全力で行うことを決めました。モチベーションを維持するために短期決戦にし、自分には少し届かないかもと思える有名企業を中心に十数社に応募しました。
オファーを得る確率を少しでも高めようと、いろいろ試しました。たとえば、応募先のサービスを自分でお金を出して実際に使ってみたり、経験豊富なエンジニアに職務経歴書をレビューしてもらって中身をブラッシュアップしたり。模擬面接のように受け答えのフィードバックをもらうこともしました。生成AIも活用しました。職務経歴書で書いたことがちゃんとSTAR形式になっているかとか、この書類を元にしたら面接でどんな話を聞かれそうか、などの壁打ちに使いました。
活動が進むにつれて、徐々に面接での立ち回りが分かってきました。転職エージェントをしっかり活用したのも大きかったです。エージェント経由だと面接でのフィードバックがもらえるので、次に向けて改善ができます。僕の場合は、業務での成果を聞かれたときに「やったこと」しか話さず「主体性が見えない」という印象を持たれることが多かったようです。背景や選択肢、判断理由まで含めて語ると、面接官との会話が噛み合うようになりました。
最終的には複数の企業からオファーをいただき、その中で普段から自分も使っていた旅行・外食関連のtoCサービスを提供するWeb開発企業に入社することを決めました。技術的に面白い課題を抱えていそうでしたし、面接の印象も良く、一緒に働きたいと思えたからです。
振り返って大きな発見だったのは、面接で語るエピソードについてです。インターネットで見られるエンジニアの技術記事では「新技術でコスト削減」、「認証基盤をゼロから構築」など、大きな成果が語られていることが多く、自分もそうした派手な話を用意しないといけないと思い込んでいました。
でも、GAFAがえるさんと職務経歴書をブラッシュアップしているときに「ああ、それ、いいエピソードですね」と言われたりして、自分が業務の中でどう工夫し、どう考えて行動したかという等身大の話で十分なんだと気づきました。言い換えれば、普段の業務への取り組み方こそが一番大事だということです。日々の工夫や積み重ねをちゃんと振り返って言葉にできるか。それが面接では問われているのだと思います。
普段からの積み重ねでいうと、競技プログラミングの経験は役に立ちました。普段から独り言のように「あれがこうなって…」と自分に説明しながらコードを書く癖がついていたので、面接でのコーディング課題でもそのままの自分で臨めました。さらに、オープンソースプロジェクトに関わっていた経験も評価してもらえたように感じます。
一方で反省もあります。短期決戦にしたため面接を詰め込みすぎ、振り返りや準備の時間を十分に取れないまま次に臨むことがありました。最初から大量に応募するのではなく、進み具合を見ながら少しずつ増やす方が良かったと思います。結果に一喜一憂して気持ちが疲れることも多かったので、結果を急ぎすぎないことや、意識的に休む日を入れることも大切だと感じました。
嬉しいことに、自分が普段から使っていたサービスを作っている、志望度の高い企業に入社できることになりました。ここからは会社やチームに貢献し、プロダクトをもっと良くすることに尽力していきたいと思っています。これまでの受託開発では「作って納めて終わり」という区切りのある働き方が多かったですが、これからは長期的にプロダクトを育て、ユーザーにとってより良いものに進化させていくことに挑戦していきます。
転職活動では、自分の利害関係にない人から率直なフィードバックをもらえて、それが思いもよらない気づきや見直しにつながりました。これからも転職の意識を少しは持ち続けていたいです。そうすることで日々の仕事のパフォーマンス改善にも役立つのではないかと思います。
昨今は生成AIの進化が目まぐるしいですね。一エンジニアとして、僕はその力を存分に引き出してソフトウェア開発に活かせるようになっていきたいと思っています。生成AIがもたらす変化についてはいろんなことが言われていますが、「プログラマーの仕事がなくなる」という話にはあまり実感がありません。むしろ、どうやってうまく使いこなすかが問われていくんだと思います。脅威というよりは共存。ちゃんと使えるようになっていくことが大事だと感じています。